団体からのお知らせ

令和元年度の活動について(第9報) 2019年12月24日

12月10日、下記の内容で12月度の例会を開催しました。
 *今月の例会は、(委員会報告=11月遠足例会の結果報告、来年1月新年例会の内容説明、誕生祝いの贈呈など)を行う中、講演会を設定しました。
  今回の講演会は、一宮市博物館学芸員の杉山章子氏を招き、木曽川町出身「川合玉堂」の作品と生涯と題して語って頂きました。
  以下はその内容です。(なお、川合玉堂を幼少時は本名の芳三郎、長じては玉堂と略して記します。文中の一部は事務局加筆)
  生涯:玉堂は、明治6年に愛知県葉栗郡木曽川町外割田(現在の一宮市木曽川町外割田)にて、筆墨紙商の長男として出生。
     明治14年、芳三郎7歳の時、一家は岐阜市に移住。12歳頃から絵に親しむ。明治19年、京都の画家・青木泉橋が岐阜に来住し、その知遇を
    得て、絵を描くことに大いに刺激を受ける。
     明治20年、14歳を迎えた年に京都に上り、四条派・望月玉泉に師事し、玉舟の号を得る。明治23年、丸山派・幸野楳嶺の門に入り、第3回
    内国勧業博覧会に出品(春渓群猿図・秋渓群鹿、)して入選を果たしたのを機会に玉堂と改号。
     明治29年、23歳の時、上京(東京移住)して橋本雅邦に師事し、橋本雅邦、岡倉天心、横山大観らが創立した日本美術院に参加。
     以後、玉堂は日本の四季の山河と、そこで生きる人間や動物の姿を美しい墨線と彩色で描くことを得意とした絵画の作成にいそしむ。
     その一方、文展審査員、東京美術学校教授、帝室技芸員等を歴任し、日本画壇の中心的存在の一人となる。
     昭和19年、東京都西多摩郡三田村御岳の疎開し、住居を愚庵と称して定住するも、昭和32年、心臓喘息で他界。
  作品:「鵜飼」「家鴨」「五月晴れ」「彩雨」「長閑」「行く春」「暮雪」「深山濃霧」「朝もや」「春潤」「暮春の雨」「筏」「吹雪」など
    多彩にわたり、その作品は東京国立博物館や全国著名美術館に所蔵・展示され、見る人に卓越した絵画技法への感銘や日本の自然風景への
    郷愁を与え続けている。

    当クラブでは、このような文化講演も催しています。閲覧されました方、興味のわいた方、入会をお待ちしております。







     
     

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